道頓堀にかかる縁切り橋「相合橋」

道頓堀に来たのは、1回目の緊急事態宣言が発出される前なのでほぼ1年ぶりです。

ここ数年乱立していたドラッグストアはシャッターを閉めているお店が多くて、やはりという感じです。インバウンドなんてまだまだですね。

今は日本人ばかりの道頓堀になっているので、昔に戻ったような雰囲気。


やって来たのは金龍ラーメンのすぐ横の「相合橋」。北の宗右衛門町と、南の相合橋筋商店街をつなぐ橋です。

「あいあうばし」や「あいあいばし(通称)」と呼ばれています。




幅は15メートル。広々としていてお祭りの時などはイベントスペースとして利用してたりもします。

一見すると何てことない橋ですが、実は「縁切り橋」として遊里の人たちは橋を渡るのを避けていた橋でもあるのです。

江戸時代、道頓堀の南側は芝居町、北側はお茶屋街として栄えていて、「恋人同士の芸者と役者が落ち合う橋」として、相合橋という艶やかな名前がついたのですが、いつしか渡ると男女の縁が切れる「縁切り橋」と呼ばれるようになりました。

ロマンチックなのか、そうでないのかよく分からない歴史を持っている橋なのです。

昼ドラのようなドロドロした色恋があって、その延長で縁切りという噂が流れたのかなと想像しますけど、宗右衛門町の公式HPによると「TPOの区別」と書かれていました。あくまでも説ですが、ちょっと無理やりっぽい感じもしますねw

女性が相合橋を渡って“花街の女性”として商売に就けば、愛しい人との区別なく、多くのお客様の接待を行わなければならなかったため、今で言う“TPOの区別を付ける橋”として“縁切り橋”と言われたとの説もあります。


当時の面影はなく、いたって普通です。


100メートルほど西には太左衛門橋があります。縁切り橋の相合橋を渡りたくない人は、わざわざ太左衛門橋まで行って道頓堀川を渡っていたそう。


こちらは東側の日本橋側の様子です。




若い頃、縁切りなんてことは知らず胸を高ぶらせながら宗右衛門町側へ渡っていたことを思い出しましたw


最後は久しぶりの金龍ラーメン。新型コロナ対策のためか、ご飯などは店員さんが入れてくれます。にんにく、ニラ、キムチがどっさりすぎて食べた後がやばいです。明日、仕事休みでよかったー。