真田幸村が布陣した「茶臼山」

真田幸村、その名は400年を越えてなお、多くの人々の心を引き寄せています。2016年には大河ドラマとして放送され、一世を風靡しましたが、その影響は時を経ても色褪せることはありません。今もなお、数多くの人々が彼の足跡をたどるために、大阪・天王寺区を訪れています。

区内には、大阪城の出城である「真田丸」、幸村の墓がある「心眼寺」、大阪城までの抜け穴がある「三光神社」、大坂夏の陣の本陣となった「茶臼山」、幸村終焉の地である「安居神社」など多くのスポットがあります。

その中で今回訪れたのは大阪・天王寺区にある「茶臼山」場所はJR/大阪メトロ 天王寺駅から10分程度のところにあります。

茶臼山は、その由来に謎が多く、前方後円形古墳説や運河建設に関連する土盛り説など、さまざまな説が存在します。一説には、茶臼山は大坂冬の陣において徳川家康の本陣として使用され、大坂夏の陣では真田幸村の本陣となった歴史的な地でもあります。ここで激しい戦闘が繰り広げられ、その古戦場の名声は今なお語り継がれています。

今回はそんな茶臼山を巡ってみようと思います。


茶臼山のすぐ隣は河底池という大きな池となっていて、散策路が整備されていたり時期によっては綺麗な花を咲かせる場所です。ベンチに座ってゆっくりしている人多いですね。


河底池から見える通天閣。


朱色が印象的な和気橋。観光客の撮影スポットです。


和気橋を渡ると茶臼山の頂上まではすぐです。




茶臼山山頂。標高は26メートル


真田幸村についての歴史や名言などが記載されています。


山頂には大坂夏の陣の配陣図もありました。左が北で、右が南なので、地図の上側の山は生駒山系ですね。

こうみると、当時の大阪城は川に囲まれていて、攻め込むには南側(地図の右側)からになるのですね。豊臣軍が地図の中央に布陣して、徳川軍が地図の右側に布陣しています。茶臼山はちょうど地図の真ん中くらいです。


徳川軍15.5万人に対して、豊臣軍(真田幸村)は5.5万人で戦った大坂夏の陣。兵力では劣るものの、真田幸村は決死の覚悟で徳川軍へ攻め込み、ついには家康に自害を覚悟させるほどまで迫ったと言われています。しかし、後一歩のところで家康の首は取れず。安居神社で戦いの休息をしていたところ、敵兵・西尾宗次によって槍で突かれ討ち取られました。この時幸村は「わしの首を手柄にせよ」と最後に言ったそうな。真田幸村 享年49歳。

■ 茶臼山
住所:〒 543-0063 大阪市天王寺区茶臼山町1-108(天王寺公園内)
場所:Google Map