
大阪城公園の南側、法円坂一帯に広がる難波宮跡公園へやって来ました。
かつて日本の首都となった難波宮があったところです。

大化改新は、中大兄皇子と中臣鎌足が政治の実権を握ろうとしていた蘇我氏を打倒し、天皇中心の中央集権組織を構築した大きな政治改革です。
単なる朝廷の主導権争いだけでなく、このタイミングで時代が大きく動いたと言われています。
明治維新などに並ぶ歴史の転換点ですね。その時に都を作ったのが、ここ難波宮です。
645年から686年までを前期難波宮
710年から793年までを後期難波宮に分けられています。
686年、前期難波宮は大蔵からの出火により焼失。その後8世紀前半、聖武天皇の勅命により後期難波宮が作られたという流れですね。
難波宮としては、645年から793年まで約150年の歴史がありますが、この時期は都の場所を転々と変えていたため難波宮が日本の首都になったのは一時期だけです。
歴史的にも地味な存在なので、関西圏以外の人には印象が薄いかもしれませんね。いや、、もしかしたら大阪の人にとってもパッとしないかもしれません。
ただ副都としても機能したり、外交の拠点であったり、物流の要所だったりと重要な場所だったことには変わりありません。奈良や京都が内陸なだけに、海からのアクセスを受ける場所として大きな役割を果たしたのだと考えられます。
難波宮の最も中心的な建物。国家的な儀式を行う場所なのですが、現在は建物はなく復元された基壇があるだけです。たまにステージとして使われ、ブラスバンドなどが演奏していたり。
大極殿基壇は上から見た方が分かりやすいですね。こんな感じです。
是非空間投影などの技術を使って、この地に大極殿を再現してほしいものです。きっと感動するはず!
こちらは復元された大極殿の内部。歴史博物館にて撮影したものです。
こんなにも立派な難波宮も8世紀後半に終焉を迎えます。
781年、長岡京に遷都された際には、難波宮を解体してその資材を長岡へ運んだとされています。瓦などの資材のみならず、主要建物も解体して運んだようです。
八角殿は、藤棚にもなっていて、春になると赤い柱と藤の花のコントラストがとてもきれいですよ。