
靭公園にやって来ました。
ランニングや犬の散歩、ベンチで読書している人など様々。まさに都会のオアシス、清々しい朝の空気を味わうのはここがいちばんです。
バラ園にも立ち寄ってみましょうか。
まだ早いかな???
時期は9月中旬。一足早かったようですね。来月になるとバラの甘い香りに包まれるはず。
例のリアルなブロンズ像の周りでは、管理事務所の人達?が掃除してました。
設置されたのは、2021年3月。以前通った時に何かしてるなーと思っていたのがこれだったのですね。
設置当時、新聞にも取り上げられてました。
こちらが大塩平八郎の石碑です。学校で習ったことがあるような、ないような?そこまでメジャーじゃない気もするので関西だけかもしれません。
石碑の文章を要約すると
しかし、政府軍と反乱軍の武力の差は圧倒的。乱は失敗に終わり、大塩平八郎は潜伏していた先で自焼した。
この時、大塩平八郎率いる反乱軍は、飢饉に苦しむ民を救うため、豪商の屋敷に火を放ち米蔵を解放しようと試みました。それらの火が風にのり、燃え移ることで大阪の町の2〜3割が焼かれる大火災に発展したそうな。この一件で数百人の処罰者がでたというものだから、その規模の大きさは想像を超えるものだったと思います。
一説によれば、それだけの火災を起こしても「大塩平八郎を責めるものはいなかった」みたいに語られてますが、とばっちりで家が焼かれて、さらにはこの乱の後は物価がさらに高騰してってなると「ちょっと、何してくれてるん!!」みたいな人もいたのじゃないかと思ってしまいますね。
これが幕府崩壊の30年前の出来事です。
こういったことが続き、幕府が徐々に弱体化していったと思われます。幕末へと向かうひとつのきっかけです。
ところで石碑って結構高いのです。石碑って小型サイズでも数十万円くらいするのですよね。
大塩平八郎の大きな黒御影石の石碑(幅224センチ、縦113センチ)は360万円で設置されたと言われてます。
石碑は、元々は別の場所にあって、2021年3月に靭公園に移設されました。
オリジナルの場所は、潜伏先からほど近い天理教飾大分教会前です。
現在は工事中。この教会を建て替えるため、移設する必要が生じたとのこと。
そして、その大塩平八郎が自焼したとされる潜伏先・美吉屋五郎兵衛宅は、ちょうど教会の裏手くらい。
行ってみましょう。
カフェでいっぷくして帰りましょう。このあたりはいいお店が揃ってますよね。