堺ってローマ字表記では「Sakai」ですけど、戦国時代以降、貿易が栄えていたころは「Sacay」と表記されていたようです。なんかカッコいいですよね。
ちなみに堺の由来は、摂津、和泉、河内の境界にあるから堺です。昔は境界の「境(さかい)」が使われていた時もあるよう。
では、古墳巡りの続きを書いていこうと思います。
前回の記事はこちら「大阪初の世界遺産を盛り上げよう!! 聖帝の古墳・仁徳天皇陵へ行ってきた」
履中天皇陵古墳に向かう途中、何やら階段が見えてきました。
そこまで高くないので、見晴らしはほどほどですけど、堺の街が広がっているのが分かりますね。それにしても風が気持ちいいです。
これから向かう履中天皇の古墳も見えていますね。もうすぐそこです。
履中天皇はさきほどの仁徳天皇の子供で、さらにはこの古墳は日本で3番目に大きいと言われています。そう思うと、この時代がまさに古墳全盛期ということが分かりますね。
ちょうど円形部はビュースポットになっていて、ここから古墳を一望できます。 逆光になっているので、写真が上手く撮れないなと思っていると、、、
南東が撮影スポットと書かれているじゃないですか!!これは行かないと!!
せっかくなので古墳の広さを実感するために、反時計回りに1周歩いてみることにしましょう。
時期がずれてますが、桜の木が植えられたりしてるので春は古墳と桜で絶景になるはず。
ここからの古墳の眺めは、、、
いいじゃないですか!!
よくパンフレットなどで見る構図ですね。
どっしりとした古墳からは十分な存在感、荘厳さを感じることができます。柵越しってのが残念ですけど、これは感動です!!
次は古墳の南側、履中天皇陵の拝所があります。仁徳天皇陵と同様に宮内庁管理です。
この拝所の両隣は民家です。その間に佇む聖域。ワクワクが止まりませんね。
鳥居はもちろん神明系。貫と呼ばれる上から2本目が左右に突き出ていない形状をしてます。伊勢神宮や橿原神宮もこの形ですね、もちろん先ほどの仁徳天皇陵も。
さあ、最後のメインスポット、南東へ行ってみましょう。どんな絶景が見れるかワクワクしてきますね。
それがこちら!!
おおーーっ!!この風景が見たかったんだーーー、、、、って思いたかったですが、さっき南西ポイントで同じような風景を見たので、実の所は感動は半分ですww まあ、光の影響か、濠がエメラルドグリーンっぽくていい感じです。
スタート地点に戻ってきました。写真を取りながらで所要時間45分でした。