
大坂の陣から400年を経ても沢山の人を惹きつけてやまない真田幸村。2016年には大河ドラマとなり話題になったことも記憶に新しいですね。流行はもうすっかりと落ち着きましたが、今もなお多くの人が幸村の足跡をめぐるため、大阪・天王寺区を訪れています。
大阪・天王寺区内には、大阪城の出城である「真田丸」、幸村の墓がある「心眼寺」、大阪城までの抜け穴がある「三光神社」、大坂夏の陣の戦場となった「茶臼山」、幸村終焉の地である「安居神社」など多くのスポットがあります。
その中で今回訪れたのは大阪・天王寺区にある「真田山 心眼寺」場所はJR/大阪メトロ 玉造駅から5分程度のところにあります。
長堀通りから少し南へ下ったところにある心眼寺坂。石垣がいい雰囲気出してますね。右手は明星学園です。左手奥に見えるのは巨大な観音様が印象的な興徳寺。
ちょうどこの坂の左手にあるのが「真田山 心眼寺」です。1622年に真田幸村とその子大助の冥福を祈るために創建された堂舎です。
元々は豊臣秀吉の時代に創建されたお寺ですが、一度取り壊された後「真田丸」跡地に再度建立。石碑に書かれている「真田幸村 出丸城跡」の”出丸”というのが真田丸のことです。
真田丸は三日月の形をしていたと言われていて、この心眼寺と隣の明星学園あたりが跡地となっています。
振り返って見えるのは明星学園のグランドやテニスコート。当時の面影はなく中高生たちの掛け声が響くだけですが、幸村ファンにとっては堪らない場所だと思います。
周辺の隆起している土地を歩いているだけでも、感慨深いものがあるかもしれません。400年前と全く同じではないにしても、凹凸のある地形に歴史を感じずにはいられません。
入り口の山門には真田家の家紋「六文銭」がデザインされてます。
入ってすぐのところに真田幸村のお墓がありました。「真田左衛門佐豊臣信繁」という長い名前になってますが、これが真田幸村です。
豊臣家より豊臣の姓を下賜されていたことからも深い繋がりがあったことが分かりますね。信繁は本当の名前です。(”幸村”は死後に付けられた名前)
お墓の前には六文銭や、5円玉を六連にしたものなどが置かれていました。
昔からあるお墓と思いきや、出来上がったのは大坂冬の陣から400年が経った2014年。四百回忌というとてつもなく長い期間の後にようやく作られたお墓です。
こちらは境内にある「まんなおし地蔵尊」。「間が悪い」「運が悪い」「巡り合わせが悪い」などを直してくれる地蔵尊です。間の悪〜い人はお参りするとご利益があるかも。
戦前ですが、心眼寺では「真田軍薬」という傷薬が地蔵参りのお土産として売られていたようです。戦後は規定が厳しくなり販売できなくなったようですが。
京都河原町の近江屋を襲撃し、坂本龍馬を殺害した候補者とされている京都見廻組の桂早之助、渡邊吉太郎のお墓もありました。近江屋を襲撃した翌年に亡くなったようです。
真田幸村と龍馬殺害の者のお墓が同じところにあるっていうのが何とも不思議な感じがしますが、かの有名な真田丸跡地に作られ、幸村と大助の冥福を祈るという真田幸村巡りの貴重なスポットです。他の名所も近くにあるので、合わせて訪問してみては如何でしょうか。