
大坂の陣から400年を経ても沢山の人を惹きつけてやまない真田幸村。2016年には大河ドラマとなり話題になったことも記憶に新しいですね。流行はもうすっかりと落ち着きましたが、今もなお多くの人が幸村の足跡をめぐるため、大阪・天王寺区を訪れています。
大阪・天王寺区内には、大阪城の出城である「真田丸」、幸村の墓がある「心眼寺」、大阪城までの抜け穴がある「三光神社」、大坂夏の陣の戦場となった「茶臼山」、幸村終焉の地である「安居神社」など多くのスポットがあります。
その中で今回訪れたのは大阪・天王寺区玉造本町にある「真田山 三光神社」場所はJR/大阪メトロ 玉造駅から5分程度のところにあります。
赤い真田丸ののぼりが印象的ですね。真田家の家紋「六文銭(六連銭・六紋連銭)」も書かれてますね。死後の三途の川の渡し賃を家紋にするというのが、乱世における覚悟を感じますね。
階段を上がると、真田幸村の銅像がありました。ちなみに銅像の下は信州上田の長谷寺(長野県)から取り出した「真田石」となっています。
銅像のすぐ横には、大阪城へ続く「真田の抜け穴」があります。ここから大阪城までは1km以上。当時の抜け穴の長さがどれくらいだったかは分かりませんが、大人が入るには屈まないといけないくらいなので、ここを通るのはちょっと辛そうですね。
この抜け穴となる地下道は、真田軍が大阪城と真田丸とを行き来するために作った説が有力。真田幸村は九度山でも抜け穴掘っていたようなので、掘るのが好きだったようですね。ただ、一説によると真田幸村が掘ったのではなく、徳川側によるものだという説もあるみたいです。
なかはこんな感じです。通常は鍵がかかっていて中には入れませんが、毎年11月の真田祭りでは内部が一般公開されるようです。
本堂の裏手くらいに大砲がありました。大坂の陣で使用されたもの?
三光神社の社務所では、幸村デザインの御朱印町やお守り、絵馬、のぼりなどオリジナルグッズを販売しています。遠方から買いに来られる人も多いようです。
由緒:三光神社は玉造の南の小高い丘陵に鎮座し、御祭神は天照大神、月読尊、素戔嗚尊を祀る。創立は仁徳天皇から三代後人皇十八代反正天皇の御宇と言い伝えられ創建以後神職として奉仕された武内宿弥の末裔武川氏(八十六代)にして今に至ると言う。