日本のお札にもなった聖徳太子ですが、ほんとに実在したのでしょうか?
最近の教科書では聖徳太子ではなく、厩戸王(うまやどのおう)が用いられています。
歴史書などでも聖徳太子でなく厩戸皇子みたいな書き方をされていますね。
変更された理由としてはこんな感じです。
・ 「太子」は「皇太子」の意味だが、厩戸王の時代に「皇太子」の呼び名や制度が成立している可能性はかなり低いこと
・ 厩戸王が聖徳太子のモデルになったという説が有力なこと(聖徳太子という人物は存在しなかった説もあり)
個人的には、『厩戸王は実在して、当時有力だった豪族・蘇我氏と協力して新たな政治体制を構築した』と思っていますが、聖徳太子をこんなにも担ぎ上げて、信仰の対象にまでするのは神格化が過ぎるのではないかと思ってます。
歴史オタクでもなんでもない素人目からしてみても、この時代は古代ミステリーのひとつです。物部、蘇我あたりから日本書紀あたりまでの歴史は特にそう。
改竄された歴史というと聞こえは悪いですが、時代背景を考えると、時の政権が権力を誇示し支配を効率的にするために、さまざまな手段を用いることは当然のことのように思えます。
移り変わる政権の正統性をアピールするために、厩戸王を聖徳太子として神格化する理由があったのか、信仰の流れとして生まれたものなのか分かりませんが、想像力を膨らませてこのあたりを色々と考えるのが古代の面白さですよね。
まあ、そんなことより本日は四天王寺にやって来ました。
桜の名所とされる、春の四天王寺をめぐろうと思います。
お寺なのに鳥居があるという不思議な感じ。神道と仏教のミックスした考え方「神仏習合」の名残だと思われます。
吉野・金峯山寺、宮島・厳島神社とならび日本三鳥居のひとつです。
当時、四天王寺の西側の鳥居の先は海が広がり、その先には極楽浄土が広がるとされていました。その極楽への入り口がこの極楽門です。
コロコロと回転させることでお釈迦様の教えが広がるという転法輪。
挨拶がてらに回す人も多かったこれも、現在は接触感染防止のため触ることができません。
極楽門横にある枝垂れ桜。ちょっと早かったかな?満開まであと少し。
心なしか、以前見た時よりも花の付き方が悪くなっているような気も、、、気のせいであれば良いのですけど。。
四天王寺は和宗と言われ、宗派を問わないお寺のため浄土真宗の親鸞像や、
南大門へ来ました。マスクで予防している聖徳太子が可愛いですよね。
手前には中門(仁王門)が見えます。行ってみましょう。
腹筋の両サイド、外腹斜筋のボコボコ感がすごいですね。
人間の筋肉はこうならないだろうと思いながら見てると、あっ、そもそも人間じゃないことに気づきましたw なんたって体重は1トンです。
四天王寺は伽藍配置を採用しており、南から順に中門、五重塔、金堂、講堂と建物が一直線上に配置されています。確か、中国の建築様式だったと記憶していますが、、、。
2022年の「聖徳太子1400年御聖忌」に向けて、五重塔含め建物を改修工事していたため今はとてもきれいな状態を保っています。
ちなみに建物は昭和9年の室戸台風で壊滅的な被害を受けたり、昭和20年の大空襲により伽藍が炎上したりと再生の歴史をもっています。公式サイトにこれらの写真が残されています。燃え上がる伽藍はなんとも言えないですね。
お堂の中へ入ると、お釈迦様の誕生から涅槃(ねはん)までの物語が描かれていて、それがけっこう迫力あります。
お堂の中にフライヤーが置いていました。意外にキャッチーですね。「何歳に見える?こう見えて2歳なんやで!!」
2022年の「聖徳太子1400年御聖忌」に向けて、美術館で聖徳太子にまつわる展示が行われるようです。
写真では切れてしまってますが、「日出処の天子」の原画も掲載されるようです。このマンガもKindleで発売されたら読みたいなーと思いつつも、なかなか電子化されないのですよね・・・。
時代の変遷を感じずにはいられない五重塔とあべのハルカスとの対比
休憩所(今は納骨受付所?)の前の枝垂れ桜は咲き始めくらいですね。
とくに亀遊嶋辯天堂(きゆうじまべんてんどう)がおすすめ。中央のお堂と桜のコントラストがよいですね。
こちらは亀の池。来ると必ず亀の数で盛り上がっている人たちを見ますw「見て〜!!めっちゃおるで〜!!」みたいな感じで。
こちらは六時礼讃堂。薬師如来を安置するお堂です。歴史を感じさせる風貌が魅力ですね。