古代玉作部、聖徳太子から豊臣・徳川時代、そして現代まで2000年の歴史をもつ「玉造稲荷神社」

古代には勾玉を作る玉作部の居住地となり、聖徳太子はこの神社で戦勝を祈り、豊臣・徳川時代には「大坂城の鎮守神」となり、千利休が水を汲んだとされる井戸があるなど、二千年の歴史をもつ「玉作稲荷神社」。現在では、縁結び・良縁・恋愛成就・子孫繁栄のための子授けのご利益がある縁結び神社としても有名です。


玉造の部分が書き換えられている?昔の「玉作」だったのでしょうか?まさか別の稲荷神社から持ってきて書き換えたとか?


近松門左衛門、「ひじりめん卯月の紅葉」「曽根崎心中」の一節を刻んだ文学碑があります。近くには近松門左衛門のお墓もあるので、合わせて行ってみるのも良いかも。

仰向く顔に当る日を
神かざしの玉造
稲荷の宮居ここもまた
伊勢の内外の内平野町
「卯月の紅葉」より
あつき日に貫く汗の玉造
稲荷の宮に迷ふとの
闇は理(ことわり)御仏も
衆生のための親なれば
「曽根崎心中」より


鳥居とその先に見えるのは、鮮やかな朱色の社殿。ここからでもよく分かりますね。


鮮やかな朱塗りは縁結び神社にもぴったりな感じ。


豊臣秀吉の嫡男、秀頼の銅像。ぷっくりとして子供っぽい雰囲気が残るいい表情をしています。秀頼の最後は大坂夏の陣で母淀殿とともに自害し、22年の短い生涯を終えました。

銅像は可愛らしいですが、一説によると秀頼は身長は190cm、体重は100kgを超える大男だったと伝えられてます。もしかして着痩せですか??




狐の絵馬が可愛い。


こちらは「難波・玉造資料館」AD5世紀(推定4世紀)頃、大和朝廷に関わる玉作部の住居地であったと伝えられています。創祀2000年祭、奉祝記念して開館されました。事前申し込みで内部閲覧が可能。


慶長8年(1603年)に秀頼公より奉納され、400年の歴史を刻む鳥居が残っています。基礎部分は阪神淡路大震災により損傷を受けながらも、綺麗な形で残っています。所々修復や補強が行われているようです。


千利休が水を汲んだとされる井戸。千利休の屋敷もこの辺りにあったとされています。


境内にはいくつもの末社や、歴史的な見所が他にも多くあります。大阪で有名な天満宮や住吉大社などと比べると、規模は小さくマイナーな存在ではありますが、実際に足を踏み入れるとその歴史の深さに感銘をうけると思います。縁結びとしても有名なので、恋愛パワースポットとして参拝してみ
ては如何でしょうか。

■ 玉造稲荷神社
住所:〒540-0004 大阪府大阪市中央区玉造2丁目3−8
電話:06-6941-3821
場所:GoogleMap