真田幸村 終焉の地「安居神社」

大坂の陣から400年を経ても沢山の人を惹きつけてやまない真田幸村。2016年には大河ドラマとなり話題になったことも記憶に新しいですね。流行はもうすっかりと落ち着きましたが、今もなお多くの人が幸村の足跡をめぐるため、大阪・天王寺区を訪れています。

大阪・天王寺区内には、大阪城の出城である「真田丸」、幸村の墓がある「心眼寺」、大阪城までの抜け穴がある「三光神社」、大坂夏の陣の本陣となった「茶臼山」、幸村終焉の地である「安居神社」など多くのスポットがあります。

その中で今回訪れたのは大阪・天王寺区にある「安居神社」場所はJR/大阪メトロ 四天王寺前夕陽ヶ丘駅/恵美須町駅から5分程度のところにあります。



大通りに面したところにある立派な鳥居。「安居神社」と書かれてます。少彦名神(すくなひこなのかみ)、菅原道真を祀る古社です。



参道の左側には民家、その先にもう一つ鳥居があり、階段を上がれれば安居神社です。参道に入ると一気に静寂な雰囲気に包まれます。



階段には、幸村まつりののぼりがありました。



静かでどっしりとした佇まいの本殿。


本殿のすぐ横には真田幸村の銅像があります。徳川軍15万人に対して、豊臣軍(真田幸村)は5万人で戦った大坂夏の陣。兵力では劣るものの、真田幸村は決死の覚悟で徳川軍へ攻め込み、ついには家康に自害を覚悟させるほどまで迫ったと言われています。しかし、後一歩のところで家康の首は取れず。安居神社で戦いの休息をしていたところ、敵兵・西尾宗次によって槍で突かれ討ち取られました。この時幸村は「わしの首を手柄にせよ」と最後に言ったそうな。真田幸村 享年49歳。

基本的には、上の流れが通説になっていますが、この時、真田幸村が徳川家康の首を取っていたら、時代は大きく変わっていたと思います。一説によれば、徳川家康はこの大坂夏の陣の1年後に病にて亡くっていますが、実は大坂夏の陣で家康は殺されていて、その後は影武者が家康を演じていたとか、真田幸村は安居神社で殺されていなく、逃げ延びて余生を別の場所で過ごしたなど、ゴシップ的な話が色々とされているようです。

こちらの映画でも衝撃のクライマックスがあったり、強い物語を持つ真田幸村はいつの時代も人の心を惹きつけてやまないですね。





真田幸村の石碑。多くのお供物が置いていました。



さなだ松。この松の木の下で打ち取られたとされています。松の木は2代目です。



安居神社からみた大阪城方面。現在は見晴らしの良いものではありませんが、当時はここからだと大阪城も見えていたと思われます。幸村も最後はここから大阪城を見ていたのでしょうか?



カエルを発見。

■ 安居神社
住所:〒543-0062 大阪市天王寺区逢坂1-3-24
電話:06-6771-4932
場所:Google Map